車椅子テニスの日本代表として活躍する小田凱人(おだときと)選手。車椅子アスリートというと、完全に歩行が困難な状態を想像しがちですが、実は小田選手には意外な一面があります。本記事では、小田ときと選手は歩けるのかや病名や闘病歴について詳しく調査しました。
この記事の目次
小田ときとは歩けるのか?
車椅子テニスプレイヤーとして知られる小田凱人選手ですが、インターネット上では「歩ける」という情報が散見されます。調査したところ、この情報は事実であることが分かりました。小田選手は、短距離であれば杖を使って歩行することができます。彼のInstagramには、杖をついて立っている姿も投稿されており、GQの記事でも「車いすに頼らず杖を片手に歩き出す」としています。ただし、長距離の歩行は難しく、日常的な移動や競技においては車椅子を使用しておられました。
小田ときとの病名は?
小田選手が車椅子生活を始めることになったのは9歳の時です。当時はサッカー少年だった彼は、プロサッカー選手を夢見て練習に励んでいました。しかし、プレー中に左脚に痛みを感じたことがきっかけで病院を訪れ、そこで左足に骨肉腫(こつにくしゅ)というがんが見つかりました。骨肉腫は、骨を形成する細胞に発生する悪性腫瘍で、主に思春期前後の成長期に発症することが多いがんです。治療のために手術を受けましたが、その後遺症により左脚の自由を失うことになりました。医師からは「もう走れなくなる」と告げられ、小学校3年生の彼にとって大きな転機となりました。
小田ときとが歩けるようになった2つの要因
小田選手が限定的であれ歩行できるようになった要因について調査しました。
①人工関節の導入
小田選手が限定的であれ歩行できるようになった第一の理由は、人工関節です。彼の左足には人工関節が入っています。骨肉腫の治療では、場合によっては足の切断が必要になることもありますが、小田選手のケースでは足を残す治療が選択されました。一般的な人工股関節置換術の場合、術後2〜3週間で杖を使った歩行が可能になるケースが多いとされています。小田選手の場合は骨肉腫という特殊な事情があったものの、人工関節により、限られた範囲での歩行が可能になったと考えられます。
②懸命なリハビリへの取り組み
小田ときと選手が歩けるようになった第二の理由は、彼自身の懸命なリハビリへの取り組みです。手術後、彼は「車いすテニスを早く始めたい」という一心で、リハビリに打ち込みました。また、筋力低下を防ぐため、可能な限り立位での生活を意識していたといいます。こうした日々の努力の積み重ねが、現在の歩行能力につながっていると考えられます。
小田ときとプロフィール
- 氏名: 小田 凱人(おだ ときと)
- 生年月日: 2006年5月8日
- 国籍: 日本
- 職業: プロ車いすテニス選手
- 出身地: 愛知県一宮市
- 所属: 東海理化
最後に
プロサッカー選手の夢を絶たれた小田選手ですが、担当医からパラスポーツの存在を教えられ、車椅子テニスと出会いました。国枝慎吾選手を目標に定め、つらいリハビリ生活を乗り越えていきました。その努力は実を結び、現在では日本代表にも選ばれる実力を持つ選手へと成長しています。かつてサッカーの世界で夢見た「プロアスリート」という目標を、車椅子テニスという異なるフィールドで実現しつつある彼の姿は、多くの人に勇気を与えています。小田ときと選手の歩みは、どんな困難にも屈しない強さと、新たな可能性を見出す柔軟さを教えてくれます。これからも彼の活躍から目が離せません。