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上村愛子の難病とは?現在は何してる?子供がいない理由や旦那についても

上村愛子の難病とは?現在は何してる?子供がいない理由や旦那についても

フリースタイルスキー・モーグルで5大会連続オリンピック入賞を果たした上村愛子さん。彼女は、素敵な笑顔と華麗な滑りで多くのファンを魅了してきました。しかし、彼女が生まれつき心臓の病気を抱えていたことをご存知でしょうか。今回は上村愛子さんの難病について、そして現在の活動や私生活についてお伝えします。

上村愛子の難病とは

上村愛子さんの検索キーワードには「難病」という言葉が出てきます。オリンピック選手として活躍した彼女に、一体どのような病気があったのでしょうか。

先天性心室中隔欠損症という心臓の病気

上村愛子さんは、生後すぐに先天性心室中隔欠損症と診断されました。この病気は、心臓の右心室と左心室を隔てる壁に穴が開いている状態のことです。

幸い上村愛子さんの場合は、穴が小さかったため手術の必要がなく、成長とともに自然に穴が閉じていきました。小学校に上がるまでは手術ができないと医師から告げられていましたが、結果的に手術をすることなく完治したのです。

心臓病が人生を変えるきっかけに

この心臓の病気が、上村愛子さんの人生を大きく変えることになりました。両親は愛子さんの健康を第一に考え、空気のきれいな環境で育てたいと願ったのです。

愛子さんが2歳の時、家族は兵庫県伊丹市から長野県へ引っ越しました。この決断は、心臓病を抱える娘により良い環境を提供したいという親心からでした。また、スポーツ好きだった両親がペンション経営を始めたいという夢もあり、大自然に囲まれた長野県での新生活がスタートしたのです。

長野移住がオリンピック選手への道筋に

長野県への引っ越しが、まさか将来のオリンピック選手誕生につながるとは、当時誰も想像していなかったでしょう。

スキーとの運命的な出会い

両親が経営するペンションはスキー場の目の前にありました。そのため上村愛子さんがスキーを始めるのは、ごく自然な流れだったといいます。

3歳でスキーを始めた愛子さんは、お兄さんやペンションでアルバイトをする大学生たちに雪山へと導かれました。小学校の作文では「アルペンスキーの選手になってオリンピックに出たい」と書いていたそうです。

モーグルへの転向

実は上村愛子さんがモーグルを始めたきっかけは、ちょっとした事件でした。ある日、お気に入りのスキー板が盗まれてしまったのです。代わりの板を探していた時、コーチからモーグル用の板を勧められました。これが運命を変える瞬間でした。モーグル用の板を履いてみると、愛子さんの才能が開花したのです。

コーチは後に「愛子は怖がらずにスピードを楽しんでいた。雪上で体のポジションをコントロールする感覚が抜群だった」と振り返っています。こうして上村愛子さんのモーグル人生が始まり、後に里谷多英さんに続く日本女子モーグル界のエースとして活躍することになったのです。

上村愛子の結婚と離婚について

華々しい競技生活を送ってきた上村愛子さんの私生活にも注目が集まります。

皆川賢太郎との出会いと結婚

上村愛子さんは2009年、アルペンスキー選手の皆川賢太郎さんと結婚。お二人の出会いは2007年、野沢温泉で開催されたイベントでの共演がきっかけでした。

同じスキー選手として、お互いの努力や苦労を理解し合える関係だったのでしょう。皆川さんから食事に誘われたことで交際が始まり、2008年のクリスマスに東京タワーが見える場所でプロポーズされたそうです。

皆川さんは愛子さんについて「頭がよく芯がある人。一緒に話していても物事の捉え方や響き方が純粋で、ウソがないというのを直感で感じて惹かれた」と語っています。

2023年に離婚成立

しかし2023年12月9日、お二人は離婚届を提出し、約14年間の結婚生活に終止符を打ちました。翌年の2024年10月2日に、上村愛子さんのインスタグラムで公表。離婚の理由について、お二人は連名で「口論や不和によるものではなく、時間をかけた話し合いの末に導き出された、前向きな結論」と説明しています。現役引退後、それぞれが新たな人生の方向性を模索する中で、ライフスタイルや価値観に違いが生まれたようです。

上村愛子さんは長野県白馬村を拠点とした活動を続けており、皆川さんは東京や新潟の苗場を中心に活動していたため、別居に近い生活が続いていたことも要因の一つとされています。

子供がいない理由について

上村愛子さんと皆川賢太郎さんの間には、お子さんがいません。このことについて様々な憶測が飛び交っています。

先天性心疾患との関連

一部では、上村愛子さんの先天性心室中隔欠損症が出産に影響したのではないかという憶測もありました。しかし、彼女の病気は幼少期に自然治癒しており、医学的な根拠は薄いとされています。

上村愛子さん自身は以前、「子供は授かりものなので…」と発言されており、自然に任せる考えだったようです。

あえて作らなかった説も

一方で、お二人が意図的に子供を作らなかったのではないかという説もあります。現役時代は世界を転戦する生活で、子育てとの両立が困難だったことも考えられます。上村愛子さんが結婚後も旧姓の「上村」を名乗り続けていることについては、スポーツ選手として築いたブランドを維持するためと考えるのが自然でしょう。

上村愛子の現在の活動

引退後の上村愛子さんは、どのような活動をしているのでしょうか。

教育分野での貢献

2014年10月、上村愛子さんは母校である長野県白馬高等学校のスーパーバイザーに就任しました。少子化の影響で存続が危ぶまれていた学校の支援に乗り出したのです。教育現場での経験を通じて、次世代の育成に力を注いでいます。自身の競技経験を活かし、スポーツを通じた人間形成の重要性を伝え続けています。

メディア出演と解説業

上村愛子さんは現在も、スキー競技の解説者として活動しています。2015年からはラジオ番組のパーソナリティも務め、2018年の平昌オリンピックではNHKで放送ナビゲーターを担当しました。

2021年の東京オリンピックでは聖火ランナーとしても参加し、コメンテーターとしてもNHKで活躍。長年の競技経験に基づく的確な解説は、多くの視聴者から支持されています。

環境問題への取り組み

近年、上村愛子さんは環境問題、特に気候変動がスキー産業に与える影響について積極的に発言しています。地球温暖化により雪不足が深刻化する中、冬季スポーツの未来を憂慮する一人として、様々な活動に参加しています。

長野県白馬村を拠点として、自然環境の保護と持続可能なスポーツ振興に取り組み、次世代の子供たちが安心してウィンタースポーツを楽しめる環境を残したいという思いが、彼女の活動の原動力となっているのです。

まとめ

上村愛子さんは難病ともいわれている心臓病を持って生まれました。しかし両親の深い愛情と、長野県への移住という決断が、彼女をオリンピック選手へと導いたのです。

現在は離婚という人生の転機を経て、新たなステージで活躍しています。教育支援、メディア活動、環境問題への取り組みなど、多岐にわたる分野で次世代のために尽力する姿は、現役時代と変わらず多くの人の励みとなっていることでしょう。