小田凱人は歩ける?イケメンと話題に!車いすになったきっかけが壮絶すぎる

小田凱人は歩ける?イケメンと話題に!車いすになったきっかけが壮絶すぎる

日本の車いすテニス界で「キング・オブ・パラアスリート」と称された国枝慎吾さんの後継者として注目を集める小田凱人選手。わずか17歳で世界ランキング1位に上り詰め、史上最年少でグランドスラム覇者となった天才選手です。イケメンとしても話題の小田選手ですが、彼が車いすテニスプレイヤーとなったきっかけには壮絶な背景がありました。

小田凱人は歩けるの?

小田凱人選手は、短い距離であれば杖をついて歩けるようですが、長い距離は車いすを利用しています。これは彼が9歳の時に受けた大手術が原因です。

左足の股関節と大腿骨の一部を切除し、人工関節を装着しているため、左半身を支える十分な筋力がないのです。左腹部の筋肉を太ももに移植したことで、左側の筋力が不足しており、長距離の歩行が困難になっています。

また、股関節の可動域も制限されており、「体を倒せる角度は60度くらい」と本人が語っています。日常生活では、室内の短い移動なら杖を使って歩けますが、外出時などの長距離移動では車いすを使用しています。

車いすテニスを始めたきっかけは骨肉腫という病気

小田選手が車いすテニスを始めたきっかけは、9歳の時に罹患した「骨肉腫」という病気でした。これは骨にできる悪性腫瘍(がん)の一種です。

小学3年生だった2015年5月、サッカー少年だった小田選手は左脚に違和感を覚え始めました。しかし、「5月の運動会のリレーに絶対出たかった」という強い思いから痛みを我慢して参加。運動会後、「靴下も履けないほどの痛み」となり、大学病院を受診したところ、「悪性の骨肉腫」と診断され、その日のうちに入院することになりました。「常に脚は痛くて、手術が終わって、1ヶ月、2ヶ月は寝たきり。毎日、痛くて泣いてっていう生活ばっかり。常につらかった。一番は『サッカーはできなくなる』と言われたこと」と小田選手は当時を振り返っています。

国枝慎吾選手との出会いが転機に

絶望の淵にいた小田選手に希望の光をもたらしたのは、車いすテニスの第一人者である国枝慎吾選手のロンドンパラリンピックでの活躍でした。担当医師から「退院したら、パラスポーツに挑戦してはどうか」と提案されたことをきっかけに、YouTube で様々なパラスポーツを検索した小田選手。そして国枝選手の金メダル獲得の映像に「一番ビビっときた」と言い、「車いすテニスがやりたい」という一心で、つらい治療や抗がん剤の投与にも耐え抜いたのです。

退院後すぐに競技をスタートした小田選手ですが、左半身の筋力不足や股関節の可動域制限など、様々な困難がありました。しかし「考えればやりようはある」という前向きな姿勢で、独自の技術を磨き上げていきました。

輝かしい実績これからの展望

10歳でテニスを始めた小田選手は、わずか3年後にジュニア世界一位に。2021年には出場した全ての大会で優勝という快挙を成し遂げます。さらに2023年には全仏オープンで優勝し、17歳1ヶ月で史上最年少のグランドスラム覇者となり、同時に世界ランキング1位にも輝きました。

これからの展望

小田凱人さんは現在短い距離であれば杖を使用して歩けるようですが、9歳までは普通に歩けたことを考えるとやるせない気持ちも少なからずあるでしょう。しかし小田選手は「テニスを始めたころから憧れたプロ選手に、15歳でなれたことを嬉しく思う。病気の子どもたちのヒーロー的な存在になれるよう頑張りたい」と語っています。

現在の目標はパリパラリンピックでの金メダル獲得。高校も通信制を選んで進学し、プロのテニスプレイヤーとして競技に集中しています。左利きの強みを活かした強打、体幹を活かしたチェアワーク、そして「鋼のメンタル」と称されるポジティブさと柔軟性が、小田凱人選手の武器です。

困難を乗り越え、輝かしい成績を残し続ける彼の今後の活躍に、さらに期待が高まります。